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fumoto pics #5 今治城のお堀はサメが泳ぐ!?現代に蘇る天守とお堀の謎

今治城

こんにちは。フモトです。
今回は今治のシンボルマーク、今治城をスナップしてきました!
タイトルで入ってこられた方は「お堀にサメとか、ジョーズ激流編かよ」とか思ってらっしゃる方もいるんじゃないでしょうか。ジョーズ激流編は淡水の川にサメが現れて殺戮の舞台が幕を開ける…といったシャークネードの前進にも当たりそうなぶっ飛びストーリーの映画。実はこれ、一部実話なの知ってました?川でサメに襲われたってところじゃないですよ?川にサメが出たってところです(笑)話が大きく逸れてしまったので、詳しく知りたい方は「淡水」「サメ」とかでググってください。

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今治城について

今治城の城郭とお堀
城郭をすっぽり囲むひろ〜〜いお堀

サメのお話は後で説明しますので、まずは今治城について解説したいと思います!今治城は江戸時代の慶長9年(1604年)に藤堂高虎によって築城された、沿岸の平城としては随一の美しさを誇るお城です。

今治城の勘兵衛石
石垣の中に巨石が混じっている。重さ16トン。官兵衛石とよぶそうな

お堀の内側は大変広く、お城の前は公園になっています。公園内は無料で入る事ができるので、ランニングやウォーキングに訪れる市民の方もいらっしゃいました。

今治城の城郭内
公園を本丸から見下ろしたところ。今治市民の憩いの場

ちなみに城内は博物館になっており、一般:520円(税込)、学生:260円(税込)で入場できます。残念ながら撮影禁止だったので中の写真はありませんが、藩主所蔵の貴重な鎧兜に書物、槍や鉄砲と言った武器まで様々なものが展示されています。是非、展示品をみて当時の様子に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

今治城の別名は「吹揚城」、由来は知らない

吹上神社を上から見下ろす
天守は撮影OK。城内の吹上神社を上から撮影。

これは正直、由来は調べてもわかりませんでした。ごめんなさい。まあ、単純に考えるなら場内に吹揚神社という名称の神社があるからかなーなんて思う所なんですが、実は吹揚神社が祀られたのは明治5年(1872年)、時系列合わないじゃん…。いやいや、実は呼ばれ始めたのは最近なのかも?とまあ、こう言う具合になぜ吹揚城と呼ばれているのかは分かりませんでした。ちょっと最初に呼んだ人、怒らないので私の所まで名乗り出てください。

吹上神社
とても立派な吹揚神社。出来たのは明治になってから。

今治城のお堀はサメが泳ぐ!?

ANNニュース 城のお堀にサメが出現 親子?夫婦?2匹仲良く
今治城の天守閣からしまなみ海道を展望できる様子
かつてはお堀に船が入る事ができたらしい。今でも海とは繋がっている

「そもそもなんでお堀にサメがおんねん、シャークネードか」というツッコミはさておき、今治城のお堀にはすぐそこの海から海水を引き入れて造られているんです。過去にはお堀に港から船が乗り入れられる(現在は不可)ほどだったそうで、海から沢山の生き物がそのまま入ってくるんですね。このため、お堀ではサメ以外にも鯛やヒラメ、エイなどの生息も確認されています。さながら竜宮城の様ですね(笑)

実は無かった?今も残る今治城天守の謎

今治城の復元天守
とは言え絶対あった方がよい復元天守。カッコよさは正義である。

余談はここまで、実は今治城には、最大級の謎が残っています。それは「実は天守なんて無かったんじゃないか」という説です。今治城は明治2年(1869年)に一度廃城されているため、その時に建物の多くは取り壊されてしまいました。現在の天守は1980年に鉄筋コンクリートによって復元されたもので、模擬天守であり、当時の資料などが残っていないため、外観は同じく廃城となった亀山城※の資料から模して造られています。(※因みにその亀山城は信者300万人を抱える新興宗教の総本山になり、当時の政府と抗争を繰り広げた挙句に1500本のダイナマイトで粉々に破砕されるというトンデモ歴史があったりします。)
藤堂家の家譜『宗国史』では「城中に五層の高楼を建て、府下を五街に開き」という記述が残っているものの、肝心の城内には天守の遺構が確認されておらず、今でもその謎は解かれていないままとなっています。

さて、今回も最後までお読みいただきありがとうございました!
また次回の記事or動画でお会いしましょう!

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